中国による凄まじく残虐なチベット弾圧について

中国がチベットに行ってきた弾圧の凄まじさは筆舌に尽くしがたい。

生爪をはがしたり、逆さ吊りにして鞭打つなど珍しくもない。

凄惨な拷問と弾圧で、これまでに120万人が殺害されたと報告されている。

加えて凄まじい移住政策がある。

人口600万人の国に、現在まで720万人の漢民族が入った。

しかもそこには少なくとも50万人の軍人が含まれる。

 チベットには今でも労改と呼ばれる強制収容所が多数あり、中国に反抗するチベット人が捕らわれている。

逮捕・拘束され拷問を受けているチベット人の数は、その実数さえわからない。

 書籍「国売りたもうことなかれ  櫻井よしこ 」

チベットは独自の言語・宗教・風俗を持つ、漢民族とは全く違う民族国家である。

 しかし、中国は、なんと第二次大戦が終わって4年も経過した1949年に、勝手に「領有宣言」し、翌50年には軍を進めて侵略を開始し、政治的主権を奪い自国の自治区に組み入れた。

「ラマ教という迷信を信じた封建的社会を、我々中国が解放してやった」が名分。
 書籍「逆説のニッポン歴史観  井沢元彦 」

 チベットは7世紀初頭、ソンツェン・ガムボという王がヒマラヤ山脈の北部に広がる高原地帯を平定して以降、どの国家とも同盟を結ばず、世界最古の中立国として仏教を国の基本としてきた。

それが1951年に中国人民解放軍が突然侵攻して、併合してしまった。 

書籍 「 櫻井よしこ 諸君!2005/8月号」

「あいつら、まるで野犬でも狩るように撃ち殺している!」

目撃者の悲痛な叫びとともに、「バン、バン」と数発の銃声が雪山にこだまする。

直後、登山隊の先頭を歩く1人が雪上に倒れ込んだ。撃たれたのだ…。

 中国軍によるチベット人射殺の瞬間をとらえた衝撃的な映像は、たまたま登山に訪れていたルーマニア人のカメラマンによって撮影された。

 映像は10月14日にルーマニアで放送されると、ネット上の動画投稿サイト「You Tube」などを通して広がり、世界中に大きな衝撃を与えた。

 事件があったのは9月30日の朝。中国チベット自治区とネパール国境地帯にあるチョオユー山の標高5,700m付近を、約70人のチベット人が一列になり登っていた。

中国の国境警備隊の目を避けながら、ネパールへの亡命を試みた。

(出発から22日目だった)

 ところが中国軍は彼らを発見すると、警告もなしに発砲。背後から撃たれた尼僧はその場で死亡。

冒頭の場面で撃たれた僧侶(少年)は捕らえられた後に死亡したという。

また、逃げ遅れた約30人が中国当局に拘束されたとみられている。

一連の卑劣な行為について、中国当局は12日、このような発表をしている。

 「兵士が違法越境者に対して引き返すように説得したものの、抵抗したために発砲した。正当防衛だ」

 これに対し、チベット人権民主センターのテンジン・ノルゲイさんは真っ向から反論する。

「中国軍は何の警告もなく撃ってきたと亡命者たちは証言している。

正当防衛と言うが、彼らはナイフすら持っていなかった。

ビデオを見ればわかるように、ただ逃げただけだ」

 実際、ルーマニアのカメラマンが14日に映像を公開したことによって、中国当局のウソは全世界に明らかになった。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表チョペ・ペルジョル・ツェリン氏はこう訴える。

「チベットからネパール経由でインドに、年間約3千人が亡命を試みている。

そのうち半分以上は中国軍に捕らえられ、中国に送り返されている。

その過程で殺されたり、刑務所での拷問で命を落とす人々は大勢いるのです」

現在、約13万人の亡命チベット人がいるという。

 1949年から79年の間に中国当局の弾圧で、全人口の5分の1に当たる約120万人のチベット人が命を落とし、6千を超える寺院が破壊されたという。

 中国は表向き、「チベットでは信仰の自由は保障されている」と主張するが、これもウソである。

逃げ延びた僧侶の1人、トゥプテン・ツェリンさん(23)はこう証言している。

 「私は信仰の自由のために亡命しました。チベットの僧院では中国政府によって『愛国教育』と呼ばれる行為が行われている。

全員がダライ・ラマをののしることを強要されるのです」

ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされ、チベット仏教の信仰の中心となっている。

 その人物への侮辱を強要されて、信仰の自由があると言えるのか。
 書籍「週刊朝日2006/11/10」

 1949年、中華人民共和国が樹立されると、人民解放軍は”農奴の解放”を口実にチベットに侵入する。

 さらに、解放軍は反乱の鎮圧を口実に首都ラサを制圧し、このため法王ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされてしまう。

これ以降、中国によるチベットの植民地化が進められた。

 見せしめのための処刑が当たり前のように横行し、尼僧の強姦、女性に対する強制的な不妊・堕胎手術まで、ありとあらゆる方法でチベット人の抹殺が図られた。

ペマ・ギャルポ教授

「中国のチベット弾圧は侵略そのものですから”戦争犯罪”といっていい」

書籍 「週刊新潮2006/11/3」

 

 胡錦濤主席が鄧小平に見込まれたのは、チベット動乱の時に党中央の指示を待つことなく、自ら鎧兜を被って戦車に乗り込み、大弾圧の先頭に立ったからだ。

 10万人の僧やインテリが無残に殺されたチベット動乱で弾圧の功を立てたことが、彼の最高権力の地位への出発点だった。 「 櫻井よしこ 週刊新潮2006/8/31」

 もうラサは東のラスベガスと言われるぐらいに、中国人がどんどんやってきて、売春・麻薬などでチベットの文化を骨抜きにしようとしている。

ラサの市内だけで600ヶ所くらいの売春宿がある。まさに「文化大虐殺」なのである。

 イギリスのMI6(情報局秘密情報部)は、中国がチベット人やウイグル族の政治犯を使って筋肉増強剤などの人体実験をしている事実を公表した。

 雑誌「SAPIO 浜田和幸 2008/4/23」

 中国はチベット文明の虐殺を目論んでいる。チベットに漢族を移住させ、人民解放軍の若い兵士をチベット族女性と結婚させるなど、民族の抹殺さえ行っている。
          

 チベット族は仏教への帰依が激しく、五体投池という肉体的にも過激な動作を繰り返して、日々篤い信仰生活に明け暮れ、今も漢族の暴虐を極めた血の弾圧と大虐殺への怨念を抱いているが、新彊ウイグルのイスラム教徒とは異なって、過激な武力闘争・武装ゲリラ戦争を展開することはない。

 ダライ・ラマ猊下の地下からの「無抵抗主義」の呼びかけに忠実であり、純朴な国民性は宥和を旨とする。

書籍 「出身地でわかる中国人 宮崎正弘 」「中国・中国人の品性」

中国の警察が木の棒でチベット人を引っぱたく光景をよく見掛けた。

浮浪者のような人が寝転がっているだけで殴る。それが常態化している。 

書籍 「野口健 Voice2008/5月号」

 ペマ・ギャルポ氏の話によれば、チベットでは家族が1人も虐殺の目に遭っていない人は見当たらない。

そのような扱いを受けても、彼らは決して武力で抵抗しない。
            

 中国はいつもそうで、ネパールとの国境ナンパ・ラ峠の銃撃が話題になったときも、初めは事実すら認めなかった。

 しかし映像が世界に行き渡ってしまうと、「チベット人が危害を加えてきたから、正当防衛で撃った」と訂正した。

今回のチベット暴動も同じで、最初は「発砲していない」といった。

それが次には「警察が身の危険を感じ、正当防衛として威嚇射撃をした」と。

死者の数についても、チベット亡命政府が「140人以上」、中国側は「20人」と食い違っている。

中国が20人しか撃ち殺していない自信があるなら、世界のメディアに「取材してください」といえばいい。

 しかし、当局が取材許可を与えた海外メディアの記者は十数人、日本では共同通信社だけ。外国人旅行者ですら、多くがカメラやビデオを没収されている。 
           

「チベット問題を考える会」の小林秀央 代表

 たとえば、女性に対し、性器に電気棒を突っ込んだり、天井から身体を吊して火で焚き付けたりといった拷問が行われた。

チベット人の独立思想を崩すべく、分断策も行われた。

それはチベット人にチベット人を攻撃させるというもの。

階級闘争と称して、子供に親を批判させ、挙げ句の果てには”親を撃て”と命じる。

 子供からすれば目の前にいる人民解放軍が恐ろしいので、やむを得ず自らの手で親に手をかけてしまう。

 僧侶たちへの尊敬の念を崩すため、弟子に師匠を批判させ、リンチにかけさせるようなこともした。


書籍 「週刊新潮2008/4/17」

中国の若者が高等教育を受けようとする場合は、中国語で試験を受けなくてはならない。

 少数民族は一人っ子政策の対象外として、子供をどれだけ作ってもいいということになっているが、実際には医者はどれだけ避妊・断種手術をしたかで表彰されている。

書籍 「ペマ・ギャルポ 「中央公論2008/5月号」」

 高速列車を走らせ、立派な学校や病院・ホテルまで建てたばかりか、近代的な法制度も導入してやった。

 なのに現地人(チベット人)は喜ばない。あろうことか騒乱を起こし、楽しみにしている五輪の聖火リレーまでも邪魔しようとする。

まったくもってけしからん、と漢民族の人々は憤慨しているようだ。

 興奮している中国の人たちに「日本もかつて満州で似たようなことをしましたが、喜んでいただけましたか」と諭しても、火に油を注ぐようなものだろう。

書籍 「産経抄 産経新聞2008/4/23「国会議員に読ませたい敗戦秘話」」

 拷問に使う電気棒には、警棒タイプの物から、牛追いに使う大型の物まで様々な種類がある。耳の穴、目、脇の下、性器、肛門などに押しつけた。

押しつけられると電気ショックによる激痛で、必ずといっていいほど失神する。

すると看守は水をかけて起き上がらせ、拷問を続ける。

重い石を2つ、両脇に挟んで持つよう強制され、首の後ろにも石をくくりつける。

その重さで体が前屈みになったところを、下から炭などであぶられる。

熱さと重さに堪えきれず両脇の石を落とせば、激しい暴行を受け、再び同じ姿勢を強要される。

 獰猛な犬をけしかけて噛みつかせたり、足首の関節をハンマーで叩く。指の爪の間に竹串を入れ込む。釘付きのバットで殴打する。

 血液を抜かれたり、背骨から体液を抜かれることさえある。大勢の僧侶たちが、こうした拷問で死亡した。

 亡命政府が以前に調べた調査では、チベットが侵略された1949~79年の30年間で、17万3千人が拷問の末に死亡した。その後も死者数は確実に増えている。

書籍 「ルントック 正論2008/6月号」

 1959年3月10日、首都ラサでチベット民衆が蜂起すると、中国政府は8万7千人を殺害し、チベット政府の解散を宣言。ダライ・ラマ14世はインドに亡命せざるをえなかった。

 人民解放軍は「ダライ・ラマ法王一派は人民から搾取する支配層だ」と主張し、チベットの指導者たちを次々と逮捕していった。

 現在も中国政府は「ダライ・ラマ法王一派は、国家分裂主義者で反逆者」とプロパガンダしているが、50年前、中国政府がつくった小学校に通い始めた私がまず教え込まれたのも、全く同じ言葉だった。

先生は漢民族で、学校で学ぶのは中国語だけ。

 つけるワッペンはランクごとに一本線から三本線まであり、みんなランクの高い三本線を目指して

「アメリカ帝国主義反対!」「ダライ・ラマは国家分裂主義者だ!」と競って叫ぶのである。

チベットの子供に最も大きな影響を及ぼしたのは映画だった。

当時のチベットでは、映画といえば大変な娯楽である。

そこで頻繁に上映されていたのが、59年のチベット動乱のニュースフィルムだった。

もちろん、チベットのお坊さんたちをやっつける中国軍が正義として描かれている。

日中戦争や満洲事変を題材にした戦争映画もずいぶん見せられた。

中共こそ、大陸から日本を追い出した救国の恩人というわけである。

街の広場では、しばしば公開裁判や公開処刑が行われていた。

解放軍がチベット人の元貴族や高僧たちを、

 「われわれ解放軍がチベットに入る前、あなたは人民から搾取し、土地を奪いましたね」と問い詰める。

抗弁は許されず、裁判官が判決をつげると立て札に漢字で罪名が書かれる。

そのまま連れて行かれて、後頭部にズドンと一発、射殺されてオシマイである。

子供も強制的に参加されられた。

当時の私はダライ・ラマの方が反逆者と信じていたので、中国が残虐だとは思わなかった。

高僧たちも公開処刑の対象になった。

 近所のおばさんたちが、それまで敬っていた高僧に唾を吐きかけるのを見たときは驚いたし、悲しいなと思った。

みなチベット仏教の熱心な信者だから、お坊さんにそんな無礼なことはとてもできない。

おそらく踏み絵のように、無理にやらされたのだと思う。

書籍 「西蔵ツワン 文芸春秋2008/6月号」

 私には子供の頃から自分は漢民族とは違うという意識が染みついており、差別感を味わうことも日常茶飯事だった。

学校では中国人が一緒で毎日のように喧嘩が絶えなかった。

 学校では、サッカーやバスケットなど競技スポーツがあると、生徒同士の殴り合い蹴り合いに必ずといっていいほどなってしまう。

それに、ダライ・ラマ法王について批判しないといけない。

心が痛む。写真を持つことも許されない。

口に出しただけで公安に拷問される。

 ちょっとしたことで殴る蹴るはもちろん、何時間にもわたって監禁されたり、やりたい放題。こちらの話には全く耳を貸さない。

ラサに滞在している間の91年3月10日、デモが起こった。

彼らは催涙ガスをガンガン撃ち込んでくる。直撃した人は亡くなった。

 何人かは血まみれになって逃げるのだが、その日の夜中に公安の当局者が住居を一軒一軒回って一人一人をしらみつぶしに調べる。

 いきなり扉をこじ開けて頭には銃がつきつけられ、ダライ・ラマの写真を持っていないか、どこから来たか、デモに参加したかとか、細を穿って聞いてくる。

漢民族はラサに昔からあった下町を壊して、自分たちのポタラ広場をつくった。

 話し合いなど一切ない。ラサにできたホテルなんて、チベット人を無理やり追い出してできているのである。

四川省、甘粛省、青海省では遊牧民が7割を占めている。

 年がら年中、引っ越しながら生活しているのだから、家畜ひとつ自由に動けないように柵を設ける。

 一部は中国政府が金を出すのだが、遊牧民の自由を奪うのだから、遊牧民同士で柵をめぐってトラブルが起きる。

すると当局は遊牧民に銃を持たせる。

 同じ民族で銃撃させて喧嘩させて、結果的にそれを利用するのである。今回チベットで起きた映像で、銃について新華社が伝えている。

「これで漢民族を虐殺している」と。違うのだ。

もともと遊牧民として持っているものであり、狩りや狼を追い払うためのものなのだ。

これで何も知らない漢民族を洗脳する。チベットは怖い、ウイグルは怖いと。

 私の知り合いの尼さんの中には、19年間も刑務所に入れられた方がいるし、つい一昨年刑務所を出られて今ロンドンに亡命されている尼さんも3人ばかりいる。

彼らが刑務所に入ったのは12歳か13歳である。

思春期の全てを刑務所で過ごしたことになる。

彼らは何をやったわけではない。ダライ・ラマ法王の仏教の教えに従っただけである。

政府の不当性を訴える裁判を起こす権利もない。

中国の憲法では、少数民族の自決や自治は保障されている。

自由に生活できる権利が謳われていながら、実際は全く別のことが行われている。

チベットもウイグルの問題もそうだが、このところ痛感するのは、米国の9・11以来、民族の問題が一律にテロ扱いされるように変わったということである。

民族が何か自決を叫んでも自治を求めても、「それはテロリストだ」。

中国にとっては都合がいい論理である。

書籍 「テンジン 正論2008/7月号」

ラサの街角では、漢人の公安(警察官)がチベット人を警棒で殴る光景がよく見られた。

チベット各地から「五体投地」を繰り返しながら巡礼にやってくる人々は、ラサ旧市街のそこかしこにいる。

バター茶を飲みつつ休憩する人もいれば、腰を下ろしてお経を唱えている人もいる。

そんな人々を、「邪魔だからどけ!」とばかりに容赦なく警棒で引っ叩きながら追い立てるのである。

書籍 「野口健 諸君!2008/9月号」

 6月に中国内の東チベット・タウ県(中国四川省)でチベット人尼僧が抗議の焼身自殺を図るなど、2009年以来、焼身自殺者は120人になりました(8月28日現在)。

彼らはダライ・ラマ法王のチベット帰還と、チベット人の自由を訴えています。

 宗教の自由など基本的人権が認められていないために多くのチベット人は生きることに絶望し、大切な命を投げ出して中国政府に抗議する道を選んでいるのです。

 ある地域では焼身自殺を図って火だるまになっているチベット人を助けるどころか、「早く死ね」とばかりに身体を蹴ったり、棒で殴りつけたりするという。

人間として考えられない行為まで報告されています。

 中国内やネパールでは、焼身自殺したチベット人の遺体を軍や警察が持ち去って遺族に返さない事例もあります。

 チベット人の多くは敬虔な仏教徒ですから、肉親や友人、知人が亡くなれば遺体を丁重に葬ります。

遺体を奪われれば死者の魂を弔うこともできません。

非道です。

書籍 「ツェリン・ンゴドップ(チベット亡命政府・教育省長官)SAPIO2013/10月号」

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