「堪忍(かんにん)は一生の宝」ということわざがある。
そのことわざの意味は、
怒りを抑えて、人の過ちを許すこと 。
その堪忍の徳は、一生を通じて計り知れない利益をもたらすということ。
堪忍を一生の宝として大切にすべきであるということ。
その反対の意味として「短気は損気」ということわざもある。
直ぐに怒る気質の人は損である。という意味である。
昔、ニュースで、ある男性が同じ宿泊者の上司とトラブルになり上司の顔を殴り死に至らしめたというニュースを見たことがある。
怒りという感情が最終的に暴力になり相手を死に至らしめたのである。
怒りが国家間レベルになるとその怒りが憎しみを生み、双方の憎しみ合いは最終的には戦争という大量虐殺につながる事態を引き起こす結果になりかねない。
我々は怒り、憎悪、憎しみ、激怒という感情をコントロールし抑える必要がある。
特に睡眠不足や酒に酔った状態では脳内における感情のコントロールが効きにくくなり、怒り易くなる、キレやすくなるように思われる。
我々は日々の充分な睡眠、休息、日々の正しい生活が必要である。
我々は激怒という感情をコントロールする事が必要であり、そのことは社会生活を営むうえで最も重要な事であると思われる。
仏典「サンユッタ 二カーヤ」において仏陀(仏様)はこうお説きになっている。
「愚者(おろかもの)は荒々しい言葉を語りながら
「自分が勝っているのだ」と愚者は考える。
しかし、真理を認知する人がそしり、悪口、中傷誹謗、罵詈雑言、罵倒を耐え忍ぶならば、耐え忍ぶその人にこそ勝利が存在する。
怒った人に対して怒りを返す人はそれによっていっそう悪をなすことになるのである。
怒った人に対して怒りを返さないならば勝ち難き戦にも勝つことになるのである。
他人が怒ったのを知って気をつけて静かにしているならば、その人は自分と他人の両者の為になることを行っているのである。
理法(真理)に通じていない人々は「その者(怒りを返さない者)は愚者(おろかもの)だ」と考える。
また、パーリ仏典「スッタニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。
「罪がないのに罵(ののし)られ、殴(なぐ)られ、拘禁(こうきん)されるのを耐え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、彼を私はバラモンという。」
さらに、仏教では怒りの感情を起こさないよう教えている。
憎しみの感情を起こさないよう気をつけるよう説かれている。
仏典「サンユッタ・二カーヤ」というお経においてブッダは次のようにお説きになられている。
「怒りを断ち切って安らかに臥す。
怒りを断ち切って、悲しまない。
その根は毒であり、その頂きは甘味である怒りを滅ぼすことを聖者達は賞賛(しょうさ ん)する。
それ(怒り)を断ち切ったならば悲しむことがない。」
さらに
「人は利を求めて自分を与えてはならない。
自分を捨て去ってははならない。
人は善い(優(やさ)しい)言葉を放つべきである。
悪い、粗暴(そぼう)な言葉を放ってはならない。
やさしい言葉を口に出し荒々(あらあら)しい言葉を口に出してはいけない。」
とお説きになられている。
長阿含経という仏教のお経において 仏陀は怒りについて 次のように説かれている。
ある朝、帝釈天は祇園精舎に 居る仏陀に対し次のような質問をした。
「何ものを殺す事によって安穏な る眠りを得るであろうか?
何ものを殺す事によって 憂いと恐れのないようになれるであろうか?
そして何ものを殺す事を仏陀は 褒め称えるのであろうか?」
仏陀は次のように答えた。
「凶悪なる怒りを損うことによって 安穏の眠りを得るであろう。
そして憂いと恐れのない心を得るであろう。
乃至、これこそ賢聖の讃える事である。」
また、「ダンマ・パダ」という仏教のお経において仏陀は次のように説かている。
「荒々しい言葉を言うな。
言われた人々は、汝に言い返すであろう。
怒りを含んだ言葉は苦痛である。
報復が汝の身に至るであろう。
壊れた鐘のように声を荒げないならば 汝は安らぎに達している。
汝はもはや怒り罵ることがないからである。」
更にまた、ウダーナ・ヴァルガという 仏教のお経において 仏陀は次のように説かれている。
「悪い行いをなさずに怒ってもいない人に 対して怒るならば、この世においても、 あの世においても、その人は苦しみを 受ける。
実にこの世においては、およそ怨みに 報いるに怨みをもってするならば、 ついに怨みの止むことがない。
耐え忍ぶことによって、怨みは止む。 これは永遠の真理である。
怨みは怨みによっては 決して静まらないであろう。
怨みの状態は怨みの無いことによって 静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは、 ためにならないという事が認められる。
それ故にことわりを知る人は 怨みを作らない。」
ところで、この「怨みによって怨みは止まない。
怨みの状態は怨みの無いことによって 静まるであろう。 」
という、このお釈迦様の言葉には歴史上、ある逸話がある。
この逸話は以下の通りである。
第二次世界大戦が終わりサンフランシスコ講和条約が締結され、世界の諸国は、敗戦国の日本に賠償を要求した。
その時にスリランカ国(旧セイロン国)は、サンフランシスコ条約には参加したが、
日本に対する全ての賠償権を放棄した。
後に、スリランカ初代大統領になったJ.R.ジャヤワルダナ氏は、1951年サンフランシスコ講和会議で日本の真の自由と独立の支持を訴える名演説を行った。
スリランカ政府首脳達はこの声明の中で、このお釈迦様の言葉、ブッダのことば
「実にこの世においては、およそ怨みに 報いるに怨みをもってするならば、 ついに怨みの止むことがない。
怨みの状態は怨みの無いことによって 静まるであろう。」
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む 。」
この言葉を引用しさらに次のように言った。
「戦いは終わったのだ。もはや怨みに報いるに怨みを以ってすることはやめよう。」
「この精神でセイロン(スリランカの旧国名)は世界の平和に貢献したい 」
セイロン(スリランカの旧国名)のジャヤワルダナ氏 の演説を聞いていた各国の会議に出席していた聴衆は大いに感動し、その拍手の音はもの凄く、室内の窓ガラスが割れる程であったと言われています。
この演説により、日本は戦勝国が計画していたアメリカ、中国、ソ連(現在のロシア)、イギリスによる日本全土の4国分割統治案、4国分割占領案、いわゆる
ソ連:北海道、東北地方を占領。
アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿を占領。
中華民国:四国を占領。
イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ占領
東京は四カ国共同で占領。
という悲惨な運命から免れる事が出来た。とも言われています。
終戦後、日本はスリランカ(旧セイロン国)、および、スリランカのジャヤワルダナ氏 とお釈迦様によって救われた。
と言えるかもしれません。
参考文献
「日本のことわざを心に刻む 処世術が身につく言い伝え 岩男 忠幸 著 東邦出版」
「ブッダのことば スッタ・ニパータ 中村元訳 岩波文庫」
「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・二カーヤ 中村元訳 岩波文庫」
「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・二カーヤ 中村元訳 岩波文庫」
「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫」
「地獄の話 山辺 習学 著 講談社学術文庫」
「国訳一切経 印度撰述部 阿含部7 大東出版蔵版」
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