道徳教育は人間にとって非常に重要な事である。
しかし道徳教育のみではその道徳を実践する正当性を主張、説明するには理論的限界があるように思われる。
道徳教育の理論的限界について仏教学者、(故)平川彰博士(1915年~2002年)は自身の著作「インド・中国・日本 仏教通史 平川彰著 春秋社」において次のように説かれている。
「国家を治めるには刑罰だけでは治められないのであり、社会の平和を実現するには道徳が必要である。
しかし、道徳は道徳だけでその正当性を主張するのは困難であり、その根底には宗教による基礎づけを必要とする。
したがって聖徳太子が三宝(仏、法、僧)興隆の詔勅を発し、率先して仏教を導入されたのは、仏教によって国民の道徳的精神を高める目的があったとともに、物質文化を高めることも大きな理由であったであろう。」
ここで述べられている宗教による基礎づけとは仏教に説かれている輪廻転生の教説、善因善果・悪因悪果の因果業報説が含まれていると考えられる。
仏教経典の中で「諸々の覚者の教えについて」次のような教えが説かれいる。
「耐え忍び、苦行、隠忍は最高のものであり、ニルヴァーナは最高のものであると諸々の覚者は説いた。
他人を害(そこな)う人は出家者ではない。
他人を悩ます人は修行者ではない。
一切の悪をなさず、善を具現し、
自らの心を清らかならしめる。
これが諸々の覚者の教えである。
争わず、害せず、
それぞれの解脱について制していること、
食事に量を知り、座臥に人々から離れ、
高潔なることに心を専らにすること、
これが諸々の覚者の教えである。」と。
ところで、仏教学、インド哲学の世界的権威、(故)中村元博士(1912年~1999年)は自身の著書「原始仏教の社会思想 中村元選集第18巻 春秋社」において
仏陀釈尊の病人への看病、看護に対する考え、思想について紹介されている。
その書籍の中で(故)中村元博士はパーリ仏典の律蔵経典を引用し、その経典において仏陀釈尊は次のようにお説きになられたという。
「修行僧らよ。我(仏陀釈尊)に仕(つか)えようと思う者は病者を看病せよ。」と。
また、仏教経典の中の「増一阿含経 第四十巻」の中において仏陀釈尊は次のようにお説きになられたという。
「たとえ我(仏陀釈尊)および過去の諸仏に供養することあろうとも、我(仏陀釈尊)に施す福徳と、病(人)を看る、看病する(福徳)とは、異なること無し」と。
また、仏陀釈尊自身も病人の看病、看護に直接従事された事が説かれている。
また、「仏教医学事典 補ヨーガ 福永勝美著 雄山閣出版」という書籍においても看護について書かれている章がある。
その章において著者である福永勝美先生は仏典の律部経典の梵網経を引用し看病を八福田の第一にあげている。
参考文献
「原始仏教の社会思想 中村元選集第18巻 春秋社」
「仏教医学事典 補ヨーガ 福永勝美著 雄山閣出版」
「インド・中国・日本 仏教通史 平川彰著 春秋社」
中村元選集 決定版 第18巻 原始仏教の社会思想 原始仏教VIII 中古価格 |
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